この記事では、名古屋の歴史を知って、さらに名古屋を楽しむための情報を紹介しています。
名古屋の歴史を知ってさらに名古屋を楽しむ
愛知県名古屋市の歴史を確認しながら、どのように今の名古屋ができあがったか知っていただければと思います。
特産物や観光地、繁栄の歴史を知ることで、今までよりもさらに名古屋のことゆ好きになれると思います。
名古屋の歴史は熱田から始まった
名古屋の歴史の熱田神宮のある熱田から始まりました。
三種の神器のひとつ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の草薙神剣をご神体とする熱田神宮は1900年以上の歴史を持つ神宮で、この熱田神宮を中心に街ができ始めたのが名古屋の始まりです。
それから、江戸時代になると東海道の宿場町として繁栄しました。
堀川の河口にあった魚市場も当時はとても活気にあふれていて、天保の時代になると旅籠が250軒近く並ぶ日本一の宿場町となりました。
宿場町ランキング2位だった桑名の旅籠が120軒程度だったのに対して、250軒というのはその倍以上であり、どれだけ繁栄していたかが読み取れますね。
もちろん今現在も熱田神宮には国内、海外からの参拝者、観光客が絶えず参拝に訪れ、門前町や宿場町、湊町として栄えた当時の面影を街のいたるところで感じることができ、名古屋の歴史を色濃く感じられる街です。
江戸時代、明治時代に名古屋の中心は栄に移り変わる
今では名古屋を代表する繁華街となっている栄は、徳川家康が名古屋城の築城後にこのエリアを「広小路(ひろこうじ)」と呼んだことから始まったようです。
その後、この広い道筋に人が集まり、次第にお寺が開帳されていき、売店や見世物小屋なども増えたことで、栄は名古屋一の繁華街となっていきました。
明治時代になると愛知県庁ができ、警察や郵便など官庁街としての機能も整っていきました。
その後、栄には松坂屋、丸栄、オリエンタル中村(現在の三越)と大型のデパートが開業し、人がさらに集まるようになり、複数の路線が使える名古屋市の主要な駅となりました。
ビジネス・商業ともに名古屋の中心地となった栄は、今では最新のブランドショップや話題のグルメスポットが集まる街として、多くの観光客が訪れる観光スポットとなりました。
現在はそのほかに、緑豊かな白川公園やその中にある名古屋市美術館、名古屋市科学館などもあり、文化的にも楽しめる街となりました。
江戸時代の名古屋北部で、飲み水用の水路が作られた
名古屋城築城の際、家康は城下の食料や材木などの物資運搬のため、福島正則に名古屋城の西側から伊勢湾にかけて堀川を開削するように命じました。
それから約50年後、庄内川からお堀の浄化をして、住民の飲み水を引くための水路「御用水」が掘られました。
お堀からは木の升ますや樋といを使用して各家に配水する水道がつくられ、堀川の西の街でもおいしい飲み水が手に入るようになりました。
明治初期に入ると黒川がつくられ、川沿いには御用水や黒川の水を利用して染物業が盛んになり、この地域は名古屋一の染物工業地帯となりました。
御用水がなくなった今でも名古屋友禅の染物工場が残っており、歴史を感じられます。
1974年には御用水を埋めてつくられた御用水跡街園に桜が植えられ、春にはお花見が楽しめるようになっています。
また、名古屋北部エリアも名古屋都心へのアクセスが便利になり、名城公園などの緑が豊かさも感じられるエリアです。
江戸時代の知多市も盛り上がっていた
愛知県知多市は古くから交通の要衝として栄え、江戸時代には東海道39番目の宿場町である池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)として繁栄していました。
当時の知多市は物資の集積場として毎年春に馬市が開かれ、甲斐や信州などの遠方から馬が集まり、400~500頭の馬と馬方、商人、見物客でごった返したと言われています。
また木綿市も毎年開催されるなど、地方経済の要となっていました。
その後、知多市はその立地条件のよさから、名古屋のみならず豊田市や刈谷市などの工業都市のベッドタウンとしても発展していきました。
江戸時代の名古屋市緑区の有松が栄える
東海道の池鯉鮒(ちりゅう)と鳴海の宿の間に江戸時代初期に開かれた村が名古屋市緑区の有松です。
有松に住み始めた知多郡阿久比村からの移住者が、農家の副業として生産していた木綿に九州から伝わった絞り染めの技術を応用して有松絞を完成させました。
有松絞は藩の庇護のもと、全国の大名からも人気を集めて名を知られるようになり、明治時代には全国に販路を開拓していきました。
今でもこの近辺は、広重の浮世絵にも描かれた美しい街並みが残る地域です。
名古屋市緑区はこうした古い街並みを保全しつつ、その名前に表されるように大高緑地のような豊かな緑のある住宅地となりました。
近代からの名古屋を支えた一宮市
木曽川の豊かな水と濃尾平野の地勢を活かし、江戸時代から大阪に次ぐ木綿栽培地となっていた愛知県の一宮市。
濃尾大地震による被害で綿が栽培できなくなると、ウールを輸入し、洋服地を中心とした毛織物産地として発展しました。
昭和初期に入ると「毛織物王国の一宮」という名前が全国に知れ渡り、一宮市の繊維産業は瀬戸市や常滑市のに陶磁器産業と並び、名古屋のモノづくりの原点となりました。
明治以降の名古屋を支えた名古屋市港区
明治時代に小船しか入港できなかった熱田海岸に代わる港として、その沖合に1907(明治40)年に開港したのが名古屋港です。
名古屋経済の発展を支えた陶磁器や織物、自動車などの製造業を物流面で支える港として発展し、今では取扱貨物量日本一を誇る港として名古屋港は存在しております。
名古屋の歴史を振り返ること
名古屋市を中心にした愛知県の歴史とそれぞれの地方の発展や歴史の推移、いかがでしたか。
これから観光に来る方は歴史を踏まえた上で愛知県を観光していただけるとさらに楽しめると思います。
普段名古屋で生活している方は何気ない日常に歴史と趣を感じられるかもしれません。
愛知県、名古屋市の先人たちがつくりあげてきた歴史をしっかりと未来へ繋げていきたいですね。